満面の笑みでピースサイン、平和公園に何しに来たのか=広島・原爆投下の地


何だか違和感がある記事だったので書いてみます。
平和公園でピースサインをする事は悪い事なのか?
確かに資料館でピースサインをしているのなら問題だと思うけど平和公園のなかでその名の通り平和のサインであるピースサインをするのはそんなに変な事なんだろうか?
公園で笑顔を浮かべるのはおかしな事なんだろうか?
たとえ、追悼の場所であっても公園である以上そこに笑顔があるのは当然ではないか?
苦しみ死んでいった被爆者たちもそこが笑顔にあふれる場所になるように思ってると考える事は変な事なんだろうか。
PJ記者が個人的に不快に思うのは勝手ではあるがそれを読者に強要するのはいかがな物かと思います。
平和に関する定義が狭すぎるのでは?
あそこは原爆公園ではなく、平和公園なのだから…。

引用:
広島市は、62年前の米国による原爆投下により、多くの市民が悶(もだ)え、焼け死んだ土地である。終戦の年の12月末までに14万人が死亡したと言われる。原爆ドームのすぐ側を流れる元安川には被爆直後、「水を、水を」と水を求め、入った大勢の被爆者の死体で埋め尽くされた。原爆ドームを含む平和記念公園は、そのような62年前の阿鼻叫喚の象徴であり、「平和」と考え、被爆者の追悼を祈る場なのである。

 それを知ってか知らずか、全国から来る観光客の一部に、あろうことか満面の笑みで、その上ピースサインをし、記念写真を撮っているのを目にする。これは何年たっても、いつであってもかわらず、目に付く光景である。おそらくは彼らは、62年前、この広島という地で何があったのか、十分には理解しきれていないのだろう。知っていればそんなことはできるわけないのだから。

 これは、カンボジアのツールスレーンやポーランドのアウシュビッツでふざけて記念撮影するのと同義であり、被爆者らに対する侮辱であると考える。広島市民たちは大いに不快感を抱いていることだろう。平和記念公園を訪れる一部の観光客の方々には、被爆者たちの気持ちを考え、行動してほしい。それが、広島で生まれ育った私の願いである。