歌田明弘の『地球村の事件簿』: 「2ちゃんねるの時代は終わった」
記事引用
「2ちゃんねるの時代は終わった」──勝手に終わらされてしまった「2ちゃんねる」からいかにも反発を買いそうな議論が、東京・六本木にある国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの研究会でされている。

こちらの意見を見て頷ける所は2ちゃんねるは右傾化が顕著といっても思想的ではなく感情的な衝動が引き金になっているって所ぐらいだろうか。
よく、自虐的にいう言い方として「2ちゃんねる」は便所の落書き(最初は筑紫哲也?)、ブログはチラシの裏の落書きなんていう言い方がある。
両方ともどうでもいいといえばどうでもいいのですが、チラシの裏の落書きは所詮自己満足だと思う。
便所の落書きは曲がりなりにも他人へのメッセージになる事もあると思う。
もちろん、大半は意味がなかったり、場合によっては有害だったりする。
2ちゃんねるのパワーの元はなんといっても、無記名である事、そして常に2ちゃんねるという場に沢山の人が常にいるって事だと思う。
便所の落書きであっても、誰かが読んで、反応する確立が高いという事だ。
ブログでも誰かが読み、反応はあるけど必ず反応があるとは限らない。
未だにトラックバックに対してありがとうという習慣がある事でも解るように読者の反応はほとんどのブロガーにとっては特別な事なのです。
無記名の人々が容易にコミニケーションを取れる場が2ちゃんねるなんだと思う。
近い物としては意外と出会い系サイトが近いのかもしれない。
両者とも叩かれてる割には繁栄してるって所もに似てるしね。

確かに、2ちゃんねるのパワーが弱まってきてる事は確かだと思う。
一時期に比べればつまらなくなったとも思う。
でもこれは単純に2ちゃんねるが一般化してるって事だと思う。
あめぞう、2ちゃんねるといえば僕にとってはアングラ系のサイトだったけど今ではテレビでも2ちゃんねるの名前を聞く事は難しくない。
電車男もベストセラーになった。

でも、2ちゃんねるに変わるもしくは超える場を提供したインターネットは未だないのではないのか?
感情的であるがゆえに、刹那的であるがゆえに、匿名的であるがゆえに、既存のサイトやメディアを越えたのだと思う。

未だ2ちゃんねるを超える場を提供した物はないと思う。
2ちゃんねるの本質は内容でも、思想でも、サービスでもなく場を提供している事だと思う。

ブログは所詮、チラシの裏の落書きである。
閉じたメディアだと思う。
ただ、チラシも枚数を多くすればメディアになるのかも?
でもまだ、多く印刷する方法や、町中にチラシを撒く方法は開発されたとは思わない。
トラックバックはせいぜいチラシを折って紙飛行機にして飛ばすぐらいの力しかもっていないような気がします。