最近、チョコチョコとエントリーの中で書いてるんだけど自分自身の中で整理する為に書いてみる。
インターネット(WWW?)っていうのは文書と文書をハイパーリンクで繋ぐ事で世の中に革命を起こした。
私のボンクラな文章もやろうと思えばMITや東大のお偉いさんの文章にリンクする事も出来るし、エロサイトの無修正画像にもリンクする事が出来る。
また、自分の文書や意見を一応、世界に繋がるインターネットに発表したりする事ができる。
ひょっとしたら検索エンジンの結果次第ではノーベル賞受賞の偉い人の論文の隣に表示されるかもしれないし、憧れのアイドルのあの子のブログの隣に表示されるかも知れない。

一方、インターネットに文章を表示したからといってもすべてを共有する事を許した訳ではない。
自分が書いたテキストが、いかにも自分が書いたように他人のブログで書かれている事に抵抗を覚えない人はいないでしょう。

インターネットの世界では共有する事と、自分の物は自分の物であるという権利(ある意味当たり前)がごちゃごちゃになってる世界でもある。

最近のインターネットの流行はソーシャルなんとかいう物らしい。
新しくビジネスチャンスを狙うのであればソーシャルなんとかの、なんとかの部分に適当に今まであったサービスを入れればあっという間に新サービスが出来上がる。
ソーシャルブログ→SNS
ソーシャルブックマーク→はてぶ
ソーシャルサイト→Web2.0?????

成功するかどうかは別として新しいサービスを作るのは可能だ。
なぜかといえば元々、インターネット(WWW?)は共有する事を前提としているのでソーシャルなんとかとは愛称がいいのです。

共有するにあたってはなるべくルール(規制)は少ないほうがいい。
なぜなら単純に共有しづらくなるから。
しかし、ソーシャルなんとかサービスは最初はルールが少ないがいずれルール(規制)は増える運命にある。
共有する事は便利だがその中で自分を強く主張する人が必ず出てくる。
これも当たり前の流れではある。

自分の物を共有すると言っても譲れない部分はあるし、共有しようという意思のレベルが皆、同じとは限らないからである。
人によってはジャイアニズム的に自分の物は自分の物で他人の物も自分の物という人も出てくる。
リンクはトップページじゃなきゃヤダとか、関係ないトラックバック打ちまくりとか、アフィリエイトの為なら何してもいいし、周りの事なんか関係ないとか。
自分の権利の過剰な押し付けとか、自分が良ければ他人なんか関係ないとか。
著作権とかYoutubeとか…。

結局、このような人の為にルール(規制)を作る事になる。
規制が厳しくなればなるほど魅力がなくなっていく。

一方、これは考えすぎなのかもしれないけど、インターネット(WWW?)の共有の考えには社会主義的なユートピア思想の影響もあるような気がします。
リアル世界では社会主義は一応、負けた事になっていて資本主義(自由主義?)の世の中が優勢になっている。

この相反するインターネットとリアル世界の整合性はとれるのだろうか?
それともこの相反するリアル世界とインターネットのバランスこそが天秤の様に世界の中心軸を保っているのでしょうか?

ははは、まとめるつもりが余計解らなくなってしまった。
まあ、何を書いてもいいのがインターネットなんですけどね…。