「レイプ事件」ニュースがもたらした、ネットメディアの稚拙さ。


あまりにも酷い文章なので全文取り上げてみたい。
引用:
【PJ 2007年06月24日】− 朝日新聞6月21日の夕刊に掲載された記事。「ヘルプ、ミー。隣のおじさん痴漢」という見出し。埼玉県狭山署は、20日不動産会社の古谷俊夫(59)を痴漢容疑で逮捕。西武池袋線急行電車の車内で、池袋から所沢駅に着くまでの25分間、隣に座った専門学校生(19)のスカートに手を入れ、太ももを触るなどした疑い。容疑を認めてるという。専門学校生は、車内から携帯メールで「ヘルプ、ミー。隣のおじさん痴漢」と数回、知人の男子大学生(19)に助けを求めた。大学生が、所沢駅の先の武蔵藤沢駅で電車に乗り込み、入間市駅で、同容疑者を取り押さえたという。

 この女性は、咄嗟のことで、携帯メールという最新武器を使い、しかも、犯人逮捕まで実行した。その判断と行動力が、女性自身をも救い、犯人逮捕にもつながった。災難に対して、きちんと意思表示した女性である。携帯メールを使ったことがニュースとして取り上げられた。

メールを使ってヘルプを発信した女性ですが結局、このケースでも社内の他の乗客には助けを求めていないし、知り合いの大学生が途中からその電車に乗り込める状況というのはかなりレアなケースだった。
声も上がられず、意思表示も出来ず、やっと携帯の操作をおそらく犯人に気が付かれないように操作するのが精一杯だったって事。
たまたま、電車に乗れる場所に男性がいたから良かったものの間に合わなかったら例の事件と同じ立場だった事に注目したい。

引用:
 JR北陸線の特急電車「サンダーバード」の車内で、乗客40人あまり在席していたにも拘わらず、2006年8月に、当時21歳の女性を乱暴したとして大阪府警淀川署は2007年4月21日、解体事業を営む植園貴光被告(36)を強姦容疑で再逮捕した。この「レイプ事件」でPJニュース記事で「レイプ事件、『一番ワルい』のは誰だ」と書いた4月26日の記事に対し、なんと2カ月後に、PJ-ニュース、独女通信、J-CASTニュースをはじめ、ブロガーから数々の賛否両論の批判を受けた。これは、PJニュースと記者に対する口封じなのか。

>PJニュースと記者に対する口封じなのか
すっかり被害妄想の様ですね。
おかしな文章や間違った文章に対して批判が起こるのは当たり前であってそれを口封じとしてしか感じられないとは何と了見の狭い記者なんでしょうか。

引用:
 PJ記者が、予想外だったのは、災難に対して、女性が助かる考え方を示したのに、ダブルレイプの記事だと言われたことである。その根拠は、「一番ワルい」のは誰だというキャッチフレーズが、そのままに解釈されたこと。事件の犯人が一番ワルいのは、解りきった事だ。読者を惹き付けるキャッチにしたのは、意図的な事だ。

自分の記事に目を向かせる為に被害者に対して更なる被害を与えた事に対してあまりにも無自覚ではないか?
記者を名乗る以上、当事者に対して配慮する必要がある事を理解できないのか?

引用:
次に、事件の解釈、見方は一つではないだろう。市民記者は、もう一つの目で事件を見るべきだろう。被害者になった女性が、被害者にならなかったかもしれない。そのために、意思表示、行動しなかったから、一番ワルいと判断したのだ。同じ電車内の災難で、携帯メールで行動した女性は、いかに判断と行動が良かったか、それを示している。災害に対する危機意識を持っているかどうかだ。

今回のケースは非常にレアケースです。
電車内でメールを打ってその電車に間に合うように来てくれる友人が地理的に、時間的にいる確率がどれだけ低いものかは考えれば解りますよね?
レアケースであるからこそ、新聞記事にもなった訳です。

引用:
 PJ記者は書いた文章が決して上手とは言わないが、書いた内容については、正義と自信で書いている。PJ記者が受けた読者反応で感じる事は、国語の解釈の問題である。この文章コピーの記述した背景は、目的はコンセプト『考え方』は、何であるか。言葉だけにとらわれないで、全体で何を言っているのか。それと、言葉の意味の広がり、イマジネーションをもっと働かすべきではないかと言う事である。

人のことは言えませんが確かに上手な文章とはいえませんね。
記者の意図がまったく伝わってない訳ですから。
>正義と自信で書いている
解釈しなおせば自分だけの正義で書いてる訳です。
俺様の正義。
自分の文章力を棚に上げて読む人間の解釈力が足らないとは片腹痛いにもほどがある。
記者を名乗るなら意図がちゃんと伝わるような文章を書くべきではないか?
要するに俺様主義の下手な文章が被害者に対して更なる被害を与える事に気が付かない鈍感さにみんながイラついているのです。
ひょっとしたら気がついているのかもしれないけど、攻撃されたと判断して自分を守る為に無視してるのかも?

素直に被害者に対しての謝罪記事を書くべきだと提案させていただきます。
間違っていたら訂正して謝る。
正常な判断があれば当たり前の事だと思います。
「記者」を名乗るのであればそれなりの責任が求められるのは当たり前であり、その辺のブロガーとの違いでもあります。

引用:
 時はネット時代、デジタル革命と言われるゆえんは、パーソナルに自分の情報を世界に発信できる事だ。だからといって、何をやっても良いものではない。人に、お客様に見てもらうには、クオリティ、モラル、エンタテインメントは必要だと思う。PJ=Public Journalistは、ネット上でまだ定着はしていないが、既存ジャーナリストにとらわれない、自由な目で、いろいろな角度からの、ニュースの見方を提示して、憂き世を、正義の世に向かわせる一助となればと思っている。

“Float like a butterfly, sting like a bee”-Muhammad Ali

>パーソナルに自分の情報を世界に発信できる事だ。
個人が世界に情報を発信する事が出来るという事は責任も発生する事だし、「記者」を名乗る以上その責任は更に重くなる。
PJを定着させる為には責任をきちんと取る事が必要だと思います。
責任もとらないPJなんて物がネットに定着する訳がない。
責任のない正義なんてあるはずがない。