何だか最近思うんですよ。
生きにくい時代になってしまったなぁって。
なんだろうね、直接的に考えるとインターネットが生活に浸透し始めた頃からなのかな。
インターネットはある意味、権威や上下関係をフラットにすることが出来た。
今までは取り上げられられなかった意見なども救いあげる事が出来るようになった半面、デメリットとして匿名の悪意を拡散することにも貢献することになった。
匿名だから責任も取らないし、悪意も隠す事無く他人にぶつける事が出来るようになった。

まあ、インターネットだけならばまだしも、リアルの日常でもこういった自分勝手な悪意を他人に向ける人が多くなった様な気がしませんか?

その最たるものが最近の芸能人の「不倫」などに対する風当たりのキツさ。
まあ、夫婦間で不倫があればそれは当事者にとっては一大事だし、大事になるのもわからないではない。
ただ、それはあくまで夫婦や家族の問題であるはずだ。
しかし、多くの芸能人、政治家、スポーツ選手などの有名人などが不倫で社会的に制裁を受け場合によっては抹殺される事も少なくはない。
本来、夫婦当事者間の問題であるはずの事が社会から総攻撃を受けるようになってしまった。
まあ、不倫を悪として追い込んだのはワイドショーや週刊誌だった。
これはその視聴者や購読者の多くが主婦層であったためある意味、当たり前の反応であったが、いつの間にか主婦層だけでなく社会全体が不倫に対して「不寛容」になり攻撃を始めるようになった。
意義を唱えれば標的になりかねないので誰もが異議を唱えないで「不倫」に対する「不寛容」は拡大し続けた。
そして小室哲哉のような一時代を作ったミュージシャンを引退に追い込むところまで拡大してる。

社会が正論の皮を被った悪意をストレスを発散するように有名人に向けるようになったと感じるのは自分だけだろうか?
いずれこの「不寛容」は有名人に向けるのが当たり前になれば、次のターゲットは一般人になるでしょうね。
正義の名のもとに人に悪意をぶつける行為は特定の人にとっては快楽でさえある。
生きにくい世の中になりそうだねぇ。

自分が考える正義を有名人に向けてると考える事はありませんか?
嫌いな有名人に自分よがりな正義をぶつけて悦に入ったりしてませんか?
正義を語る事を楽しんでませんか?
楽しむために正義を人に押し付けてませんか?

きっとその正義は責任を伴わないものなんだろうなぁ。

れにちゃん有安杏果さん(引退したからさん付けしないとね)が卒業を発表してからいろいろな意見がネットで見ることが出来ました。
その中で気になったのが自分の考えと違っていたから嫌いになったとか、裏があるに違いないっていう決めつけの意見。
まあ、有安さんの引退は自分も急すぎて自分でもモヤモヤする部分が全くない訳ではないんだけど、そこを許すというか、飲み込むというか、もう少し温かい目で見ることは出来ないのかな?
それこそ「寛容さ」を見せる事は出来ないかなぁ…。
他者に対して悪意を向けて「不寛容」を発揮するより他者に向かって「寛容」になる事は出来ないのかな。
他人を攻撃するよりも許す事で笑顔って生まれるんじゃないかなぁ。

寛容である事と多様性を認める事が笑顔になれる近道なのかも。
しかし、世の中は真逆に進んでる様に感じる。
うーん、生きにくい時代になってしまったなぁ…。

ん?今回はももクロ要素少なすぎ?
そこは寛容で許してね(笑)。